「天明逃散集合の地」として町の史跡町指定保護記念物になっている安の河原。1782年に全国で大飢饉が始まり農民は困窮の度を増す中、藩命により紙の自由売買が禁止された上、年貢取立の重圧に苦しんだ池川・用居の農民は、松山藩(現久万高原町菅生山大宝寺)に逃散を決意。ここ安の河原に男子601人が集まり池川紙一揆を起こしました。
現在、安の河原には看板と石碑が立っています。春には土居川沿いに桜が咲き、夏には多くの川遊び客でにぎわいます。鮎釣り客も多く、地域内外の方が訪れる場所となっています。また、安の河原には種田山頭火の句碑もあるので土居エリアの散策にもおすすめのスポット。