この河嶋山神社は嘉吉3(1443)年に、現在の地より上流の地に、大野地区と百川内地区の総氏神様、「七社天神宮」として祀られ、その後、天保3(1832)年に移築したようです。神社の屋根や内部、欄間など、長州大工の華麗な技が様々な場所に見られます。宮大工として技術の高い長州大工というのは、江戸時代から明治・大正の頃に四国地方などに出稼ぎを目的として、各地域で神社やお寺などを建築した、周防大島の大工の人々のことをいいます。町内には他にも多くの長州大工の技が残る建築物があります。
池川中心部、土居地区から国道494号を北に進み大野椿山地区方面へお越しください。