土佐の神楽は高知県の内陸部に あり徳島県、愛媛県の県境に連なって分布しています。名野川神楽もその一つです。
中川松吉神楽太夫の所蔵する「磐門神楽記」によると、およそ七百年前、弘安四年(1281)後宇多天皇のころ、京の都のから下ってきた古式部と言う者が、吾川郡菜野川郷下菜野川鎮座二所大明神の神主を勤めました。
それから三百年数十年を経て、古味式部の子孫日浦小太夫と申す者が、神徳昴揚に努めました。また伊勢神宮を尊崇し、たびたび参拝して、その都度神楽を研修、幾多の技術を修得して、磐門神楽を創始したものとされています。
この頃、長宗我部氏の家臣で山内左内という者が、藩主の命により、誉田別命の御分霊を奉斎して来村し、日浦家と協力して菜野河神社を建立して現在に至るまで、伝承されたものであると伝えられています。
《名野川磐門神楽の演目》
一、注連之舞
二、白開之舞
三、一番神之舞
四、神迎之舞
五、宇受姫之舞
六、磐門之舞
七、折敷之舞
八、弓之舞
九、飛出之舞
十、二天之舞
十一、山主之舞
十二、四天之舞
十三、長刀之舞
十四、豊熟之舞
十五、八乙女之舞
十六、王神立之舞