今から160年前に佐川町で生まれた牧野富太郎博士。
2023年度の連続テレビ小説『らんまん』で牧野博士がモデルの物語が放送されることが決まり、生誕地である佐川町や横倉山のある越知町が注目されています。
ご存知の方も多いとは思いますが、実は牧野博士は仁淀川町に何度も何度も足を運んで沢山の植物に名前を付けました。
私たちも少しずつ学びながら、淀川町で過ごした牧野博士のことをご紹介させていただきます。
牧野博士はいったいどれくらい仁淀川町へ来られていたのか?
まずは、「牧野富太郎植物行動録」を図書室で取り寄せ、調べてみることにしました。
ページを捲ると、牧野19歳の1880年7月22日「土佐吾川郡黒森山 オオナンバンギセル採集」の記述から始まり、馴染みのある地名が次々と目に飛び込みます。あっという間に付箋だらけ。その中でも名野川などの中津川流域の地名はいくつも繰り返し出てきており、たくさんの植物を採集したと記録されています。
大きな功績としては、中津川上流域で発見した「ヤマトグサ」です。植物学者の大久保三郎とともに日本の学術雑誌で新種「ヤマトグサ」として発表しました。1889年牧野博士28歳の年に初めて和名で学名が付けられた植物です。
名野川小学校の先生をしていた渡辺脇氏を記念して命名された「ワタナベソウ」が発見されたのもこの山中。可憐なホソバノヤマハハコやキスミレなどの群落も見られます。
仁淀川町は牧野博士が愛してやまない植物の宝庫です。
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